がんばれホテル・飲食業

経理 須澤めぐみ

 いつから不倫は、暴行や麻薬などの犯罪に匹敵するかのような「大きな罪」になったのだろう。

 夫は問われず妻の不倫のみ罪となる戦前の姦通罪や、社内不倫がばれた際の女性への退職強要など、これまでにも不平等で首をかしげるような「不倫への制裁」の歴史はあった。しかしここ数年の、とりわけ不倫した芸能人に対するバッシングは、ストレスのはけ口を求める無関係者が繰り広げる、「正義」という名の暴力にしか見えないことがある。

見ざる聞かざる言わざる

 以前、旅行先のホテルの部屋にコートを忘れたことに気づいてホテルに電話をしたら、あっさり「預かっていますよ」と言われたことがある。宿泊者名簿に名前も電話番号も書いてあるのに連絡をくれないなんて不親切なホテルだなと思ったが、その後ホテル業に転職した際、「不倫カップルだった場合、ホテルからの連絡で家族が気づいたら大ごとだから、ホテル側からは絶対に連絡しない」という宿泊業の掟を知った。飲食業も同様。なるほど「大人の配慮」だと思う。

 そういえば、一般の会社に勤めていたときも「大人の配慮」を迫られたことがある。ある日のこと。職場で(妻が入院中の)男性が、自身の持病で倒れて意識不明となり運ばれることになった。もう社会人となっているはずの娘さんに連絡を取ろうとその男性の携帯の中身を見たが、どの女性の名前が娘さんの名前かわからない。「片っ端から電話しろ」という意見もあったが、「いやいや、もし妻以外の彼女さんだったらまずいでしょ」という意見もあり、「どうする、どうする」と、てんやわんやしたことがあった。楽しい思い出である。

 たとえ不倫が家族やパートナーを傷つけることだとしても、それは家族やパートナー同士(必要なら知人や弁護士や行政の手を借りて)で解決することだと思う。その際ボッコボコにされようが仕方がない。しかし、視聴者という名の見ず知らずの他人が出てきて、しかも「こんな人はテレビに出すな」などと仕事まで奪う権利はないと思う。そもそも役者さんは本来の自分とは違う人物を演じるのが仕事であり、一方、作品の中の人物に思いをはせて楽しむのが視聴者である。もし石田純一が妻ひと筋の役を見事に演じきったなら、その演技力の高さも楽しめるだろう。火野正平が病気の妻に一生を捧げたら、全米が泣くかもしれない。他の職業もしかり。不倫をしているコメンテータがいたとしても、政治や社会に対するその人の考えがすべて不誠実だとは決して言えないはずだ。

 家族や愛は、いろいろな形があっていいと思う。そして良いか悪いかはさておき、簡単に離婚しづらい現状の下では、不倫という選択をする人がいてもおかしくない。問答無用で不倫を社会的に(社会的にですよ)制裁することは、女性を抑圧してきた家制度や貞操観念を復活・強化する道に通じるようにも思える。いまこそ宿泊業や飲食業の掟に学びたい。

 ある女性タレントが不倫をして休業に追い込まれた際、わが夫は「生涯、一人の人だけを好きでい続けること自体に無理があるのではないか。」と言った。話のわかる男である。わが家では芸能人が不倫で叩かれるたびに、「がんばれ矢口」「がんばれベッキー」と応援している。

 あぁ、つまらない文章を書いてしまった!