ひらの亀戸ひまわり診療所

篠原 憲彰

 鍼灸治療の古典では、季節によって治療法が異なると書いてある。春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しく、冬は寒く、病気も外から内に入ってくる。治療方法も寒ければ暖め、暑ければ冷やすというように変える。勿論、古典の時代と現在では条件は違うのだが。その時考慮しなければならないのは、古典であるから旧暦(月暦)が使われているのである。月暦では、立春に一番近い新月を1月1日と定めている。西暦でこの日は、1月20日頃から2月20日頃と開きがある。志賀勝さんの月に関する本に出会って月暦について考えさせられた。

 長い間、太陽と月の間のサイクルの下で使われてきた太陰太陽暦(月暦)が禁止され、太陽のみの西暦が採用されたのは、1873年1月1日。月暦では12月3日。その一ヶ月ほど前に「改暦詔書」が出て、わずかの期間で月暦から西暦へ一変してしまった。「富国強兵」に向けてヨーロッパに追いつこうという日本にとって正確な西暦は必要だったのでしょう。

 福沢諭吉は「改暦の弁」で「改暦を怪しむ人は必ず無学文盲の馬鹿者」「日本中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題」と、酷い言葉を浴びせている。月暦で身についた生活のリズム、季節感は西暦に変わって140年近くたった今、何事もなく受け入れられているように見える。西暦の1月1日が「新春」とは思えないし、「ひな祭り」や「こどもの日」の桃花、菖蒲の時期は早すぎる。「七夕」だって梅雨時である。「中秋の名月」はさすがに。月暦8月15日である。やはり満月でなければならないから。

 志賀さんは2003年の講演で芭蕉が奥の細道へ江東区深川から旅立った日について語っている。その日は1689年3月27日「弥生も末の7日」と芭蕉は書いている。西暦では、5月16日。太陽と月の調整日、閏月が入っているため、随分違ってしまった。

 1872年を境に変わってしまったが、太陽だけではなく、月のリズムも取り入れていくべきである。 長月  十六夜。

 さて、ひまわり20周年。皆さまのご助力で迎えることが出来ました。心より感謝します。

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